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    越前先生の「この英語、訳せない!」

【連載コラム 第34回】
越前先生の「この英語、訳せない!」

ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。

警察の役職いろいろ

わたしはミステリー小説を多く翻訳しているので、警察関係のことばの訳出で苦労することがよくあります。役職だけをとってみても、日本との制度のちがい、英米間のちがい、さらには州や地域によるちがいなどがあり、とても厄介です。
 
特に困るのが、保安官事務所など、日本に存在しない組織の役職名です。sheriffは郡保安官ですが、その部下であるdeputy sheriffをどう訳すかはなかなかむずかしい。辞書にはたいがい「保安官代理」とありますが、これは適訳とは言えません。というのも、sheriffは保安官事務所の長であり、通常はひとりしかいない(しかも、選挙で選ばれて任命されることが多い)のに対し、deputy sheriffは何人もいます(大きいところだと何千人もいるそうです)。「代理」と呼ぶとひとりしかいないように聞こえますが、deputyは実態としては「捜査官」「職員」ぐらいの意味しかないので、わたしは通常「保安官助手」か「保安官補」という訳語をあてます。
 
『死の教訓』(ジェフリー・ディーヴァー、講談社文庫)の主人公ビル・コードは、ある保安官事務所のdeputy sheriffであり、作中に“Corde was by rank a lieutenant and by specialty a detective.”という記述があります。これを訳したときもずいぶん苦労しました。
 
lieutenantは辞書には「警部補」とありますが、これは警察の話ではないのでその訳語は使えません。detectiveの「刑事」も同じ理由で不可。こういうときは、作品全体を読んで、その人物が組織内のどういう立場でどんな仕事をしているかを知ったうえで、最も適切な訳語をあてはめるしかありません。ここでの主人公は、保安官事務所において警部補ぐらいの地位にあり、交通関係や事務仕事ではなく刑事事件を担当しています。通読したところ、この保安官事務所はおそらく10人余りのdeputyを擁し、コードは実質的にナンバー3の地位(保安官、副保安官に次ぐ)にあることがわかりました。
 
そこで、すべてを総合し、わたしはlieutenantの訳語を「主任」と決め、先ほどの文を「役職は主任で、刑事捜査を担当している」と訳しました(そして、ナンバー4の人物を「副主任」にしました)。このように、1作まるごと読んで総合的に判断し、訳語を決めることは珍しくありません。
 
lieutenantと言えば、刑事コロンボはLieutenant Columboですね。辞書どおりなら警部補ですが、ご存じのように、日本のテレビでは「コロンボ警部」と呼ばれています。おそらく、「コロンボ警部補」では呼びにくいことや、コロンボの上司にあたる人物(たとえばcaptain=警部)がほとんど登場しないことを考え合わせて、そのような訳語にしたのでしょう。もちろん、わたしもまったく異論はありません。

 

越前敏弥(えちぜん としや) :文芸翻訳者。1961年、石川県金沢市生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(KADOKAWA)、など多数。著書に『この英語、訳せない!』『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ出版)、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。

 

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