【連載コラム 第39回】
越前先生の「この英語、訳せない!」
ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。
ローマ教皇は森に住んでいるか?
アメリカのドラマを観ていたら、若いカップルのこんなやりとりがありました。
男:Do you want chocolate milk?
女:Does the Pope live in the woods?
[男、肩をすくめる]
このやりとりの、特に女性の“Does the Pope live in the woods?”
の意味がわかるでしょうか。わからない人は、まず下のふたつの疑問文の共通点を考えてください。
Can fish swim?
Is Bill Gates rich?
魚は泳げるに決まっていますし、ビル・ゲイツはだれが見ても金持ちですね。このふたつは、答がイエスとわかりきっている愚問です。英語では、答があまりにも明らかな質問をされたとき、このように皮肉っぽく質問を返して、「あたりまえのことを訊くな」と暗に伝えることがあります。そのなかで最もよく知られていて、決まり文句に近いのが
Is the Pope a Catholic?(ローマ教皇はカトリックか?)
Does the bear shit in the woods?(クマは森で糞をするか?)
のふたつです。そして、これらが有名なので、ふざけて半分入れ替えて
Does the Pope shit(またはlive)in the woods?
Is the bear Catholic?
という言い方をすることもあるのです。最後のふたつは、まじめに考えれば答はノーなのですが、この場合もイエスという答になることを想定しています。
最初の例も、ココアが飲みたいかと尋ねられた女性が「当然でしょ」と返したわけで、親しい仲だからこそのやりとりです。ただ、翻訳するにあたっては、このまま訳しても真意が伝わらないので、「愚問ね」などとするか、「それ、クマが森に住んでるか訊くみたいなものよ」などとするしかないでしょう。おもしろ味は半減しますが、やむをえません。

越前敏弥(えちぜん としや): :文芸翻訳者。1961年、石川県金沢市生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(KADOKAWA)、など多数。著書に『この英語、訳せない!』『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ出版)、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。

