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第一線で活躍するプロに聞く!
中山裕木子さん

翻訳の中で最も難解とされる特許英語翻訳者の中山裕木子さん。昨年発行した著書は14刷にいたり、7カ月で20万部のベストセラーに。多くの人から支持される中山流翻訳術が生まれた背景を探った。

テクニカルライティングの修得で翻訳英語の新境地へ

     

理想と現実に苦しんだ20代最難関の特許翻訳の世界へ

論文英語と特許英語の翻訳を専門とする会社、ユー・イングリッシュの代表を務める中山裕木子さん。先端技術に関する難解で複雑な書類を英文に訳すという仕事は、ちょっとした誤訳が原因で不受理になりかねない。それだけに、常に新しい知識に対する探究心と高度な英語力が求められる。そんな特殊な世界に、なぜ彼女は飛び込んだのだろうか。

「大学卒業後、英語関係の仕事をしたいと思い、工業薬剤メーカーで翻訳の業務に就きました。でも、いざとなるとどの文法を使うのが正しいかわからず悩んでばかりでした。先輩やお客様の英語を見よう見まねで使うものの、ネイティヴの英語ではなかったので本当に合っているのか不安で……。もっと鍛錬できる場所を求めて、特許翻訳専門の会社に移りました」

高い専門性が要求される分野に身を置くことが、レベルアップにつながると考えたという。いわば自らハードルを上げた形での転職だ。当時は電子産業を筆頭に新しい技術が次々と生まれていた。幅広い技術に関する英語に触れてみたいという、中山さん自身の意欲も高まっていた。ところが特許翻訳の現場は、想像していた以上に厳しい世界だったそうだ。

「そもそも特許関連の日本語が難しいうえに、技術の理解力、法律的な制約の問題もありました。翻訳した書類は先輩方に回覧され、添削されて戻ってきます。人によって指摘の内容が異なっていたり、同じ人が前回と異なる赤字を入れてくることもありました。翻訳の指針がはっきりせず、赤字に納得できなくても、それを説明できる自信や根拠のようなものが私にはありません。どうすれば自分の翻訳に説得力をもてるようになるのか、また苦しむことになりました」

そんなときに出合ったのが、テクニカルライティングの3Cだった。3Cとは、Correct(正確)、Clear(明確)、Concise(簡潔)に書くことを意味する。

「テクニカルライティングの本には『受動態ではなく能動態を使いましょう』とか『難しい英単語は捨てましょう』とか、それまで聞いたことのないようなことが書かれていました。そのルールに従って英文を書くと、これまで複雑で冗長だった文章が簡潔で平易な表現になっていったのです。私が知りたかったのはこれだ!と思い、テクニカルライティングに関する洋書を読み漁りました。驚くことに、そのルールはどの本でも同じで、『読み手に伝えるために書く』というまっすぐな一本道がありました」

まさに、長年、中山さんの心を覆っていた霧が晴れた瞬間だった。

理系の研究者たちから鋭い質問を受けることも多いという中山さん。特に大学では論文に関する相談を受けることも少なくない。そんな経験から、現在は理系のための論文英語をテーマにした書籍の執筆を準備中だ。

Profile:株式会社ユー・イングリッシュ代表取締役。日本工業英語協会専任講師。理工系学生や研究者・ビジネスパーソンを対象にして、正確、明確、簡潔に英語を書く手法の指導にあたる。2014年、論文英語と特許英語を専門とする翻訳と教育の会社ユー・イングリッシュを設立。高品質な技術翻訳サービスと技術英語指導サービスの提供により、英語技術文書の品質向上に尽力する。
http://www.u-english.co.jp/

難関の工業英検1級合格と文部科学大臣賞受賞

中学生の頃から英語が好きだった中山さんは、大学も自然と英文科を選んだ。コツコツ勉強することが好きな性格ゆえか、在学中に英検1級に合格。TOEICは950点を超えていた。それほどの英語力をもっていた中山さんが、実務の現場では言いたいことが相手にきちんと伝わる実感が得られなかったというのだ。

ところが、テクニカルライティングの3Cに出合ったことによって、翻訳も実際のコミュニケーションもがらりと変化した。

「3Cを意識して、繰り返し訓練をすることで、驚くほど相手に伝わるようになっていったのです。それは特許翻訳に限ったことでなく、会話でも同じでした」

同時に、転職時から目標にしていた工業英語検定にも挑戦。難関であればあるほど力が入るタイプと自認する中山さんだけに、絶対に1度目の受験で合格するのだという強い気持ちで取り組んだ。多忙な毎日であったが、毎朝昨年10月に上梓した著書『会話もメールも英語は3語で伝わります』(ダ早めに出勤し、通勤電車の中と出社後30分を勉強時間に充てた。その結果、1級に首位で合格。文部科学大臣賞を受賞する栄誉にもあずかった。

このふたつを手に入れたことで、翻訳の拠り所となる指針がはっきり見え、長い苦しみから解放された。

曖昧な日本語と明快な英語その違いを理解して翻訳を

中山さんはもともと、英語のもつ明快さや論理性に興味があったという。

「日本語はぼんやりしていて曖昧な表現が多いですよね。ところが、それを英語にした途端、意味がくっきり露わになるんです」

それなのに日本人はつい、曖昧な日本語をそのまま曖昧な英語表現に直訳しようとするから、うまくいかない。直訳が冗長になって、わかりにくい文章になる原因はここにある。だから、こちらの言いたいことが伝わらない。

「英語では、回りくどい言い方をすると相手に聞いてもらうこともできません。だから、曖昧な日本語から明快な英語に訳するときに、翻訳者はくっきりとさせるための選択をしないといけません。その決断力が大事なんです。ただし、そのときに使う単語の選択を間違うと、とんでもない誤訳になってしまいます」

もともと特許関連の書類は、日本語の段階でも「わかりにくくて当然」という暗黙の了解がある。それを曖昧な英文にしていたのだから、なおさらわかりにくくなっていたのだ。

「3Cによって、難解な表現をいかに削ぎ落としていくか。特許の内容はたしかに難しいのですが、構造をできるだけシンプルに仕上げることで、わかりやすくすることができるのです」

こうしてテクニカルライティングの手法で書いた中山さんの英文は、特許事務所の技術担当者から「むしろ英文のほうが理解しやすくなった」と高く評価されるように。そればかりか、特許査定の許諾率の高さを感謝されるまでになった。

著書は『会話もメールも英語は3語で伝わります』(ダイヤモンド社)のほか、翻訳者向けの『技術系英文ライティング教本』(日本能率協会マネジメントセンター)、『外国出願のための特許翻訳英文作成教本』(丸善出版)がある。

著書がベストセラーに3語英語が英語力のカギ

昨年10月に上梓した著書『会話もメールも英語は3語で伝わります』(ダ早めに出勤し、通勤電車の中と出社後30分を勉強時間に充てた。その結果、1級に首位で合格。文部科学大臣賞を受賞する栄誉にもあずかった。このふたつを手に入れたことで、翻訳の拠り所となる指針がはっきり見え、長い苦しみから解放された。中山さんはもともと、英語のもつ明快さや論理性に興味があったという。「日本語はぼんやりしていて曖昧な表現が多いですよね。ところが、それを英語にした途端、意味がくっきり露わになるんです」イヤモンド社)は、発行からわずか7カ月で14刷、20万部のベストセラーになった。中山さんが出合ったテクニカルライティングの3Cをベースに、複雑な構文や回りくどい言い回しをやめた「シンプルイングリッシュ」を提唱する一冊だ。

タイトルにある3語とは、主語+動詞+目的語のこと。be動詞ではなく、具体的に何をするのかを表す動詞を使うことで、能動的で伝わる英語になると説いている。例えば同書の帯にあるように、「私の仕事は英語教師です」という場合、「My job is an Englishteacher.」ではなく、「I teach English.」とすると、文も短く簡潔に伝わる。

「もともと中学生や高校生など英語を学んでいる人に向けて書いた本なのですが、主婦の方やビジネスマンなど幅広い読者からの反響があり驚きました。『孫と一緒にがんばって勉強します』とおっしゃるシニアの方もいらしたことにびっくりしましたし、本当にうれしかったですね」

実は同書執筆の動機には、近い未来への思いが込められている。

「この本の前に出版した『外国出願のための特許翻訳英文作成教本』(丸善出版)という専門書を書いているときに、2020年の東京五輪開催決定のニュースが飛び込んできました。当時は忙しくて、東京五輪どころではなかったのですが、だんだんと〝東京五輪に向けて何か若い人たちに貢献できないかな〟という思いが強くなってきたんです」

世界中の人を迎える東京五輪で、多くの日本人に英語力を発揮してほしいーそんな中山さんの思いが、専門書だけでなく一般向け書籍の執筆へ、突き動かしていったのだ。

出版後は人気テレビ番組やラジオなどへの出演、講演会などの依頼が増加。並行して翻訳の実務も増えた。多忙な毎日を送る中山さんのリフレッシュの方法は何だろう。

「仕事が好きなので、忙しくても負担には思わないですね。時間のあるときは、インターネットで海外の一流企業のサイトを見ています。そこで上手く表現されている3語英語を見つけるとうれしくて(笑)。パソコンのファイルにはそんな3語英語がたくさんストックされているんですよ」

最後に、これから翻訳者を目指す人へのアドバイスを伺った。

「スクールや英検などの勉強と併せて、勇気をもって実務の世界に入ってほしいと思います。アルバイトからでもいいので、『外国語を訳す仕事をする』という経験を増やしてほしい」

最初は誰でも初心者であることに変わりはない。実践の積み重ねが、やがて洗練された翻訳へとつながっていくということだ。

「特許翻訳は今後も需要が見込める分野です。案件そのものは理系ですし難解ですが、文系の人も調査力でカバーできます。最近はYouTubeにも多くの資料動画があるので、私も参考にしているんですよ。やりたいと心が向かうことを一生懸命やっていれば、ひとつの道が見えてきます。それに向かって、まっすぐに進んでほしい」

中山さん自身、ときには、自分の手には負えないのではないかと思う仕事の依頼が来ることもある。それでも「私を指名してくださったのは、私にできると相手が思ったから」と、その信頼に応えたいと取り組むことで道が開けてきた。そんな中山さんの座右の銘は〝Success is a continuous journey〟。継続する気持ちを後押ししてくれるのは、「やりたい」と思う強い気持ち。その気持ちがあればどんな困難も乗り越えられることを、自身の歩みで示してくれた。

取材・文/河合篤子 写真/桂 伸也
この記事は「通訳・翻訳キャリアガイド2018」に掲載されたものです。

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