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橋本美穂さん

日本を代表する会議通訳者の一人として活躍する橋本美穂さん。政治家やミュージシャン、アスリートの通訳もこなすなど、その対応力が注目されている。ジャンルの壁を超える橋本さんのキャリアはいかに形成されたのか。これまでの歩みを語ってもらった。

言葉の通訳者であると同時に 感情の代弁者でありたい

Profile:1975年アメリカ生まれ。東京で幼少期を過ごすも小学生時代を再びアメリカで過ごし、5年間の滞在期間を経て帰国。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、キヤノン(株)に就職。9年間勤めた後に通訳者へと転身。日本コカ・コーラ(株)の社内通訳を1年間務めた後、フリーの会議通訳者となる。

できることを繰り返すよりできないことに挑戦したい

金融、製薬、IT、広告業界を中心に国際ビジネスの最前線で通訳を務める橋本さん。会議通訳者としての顔だけでなく、近年は、ふなっしーやピコ太郎といった時の人の通訳も担当して大きな話題となった。その幅広い活躍ぶりとは裏腹に、もともと通訳者になるつもりはまったくなかったという。

「昔から将来の夢とか具体的な目標がなく、就職活動でも漠然と大企業で自分の力を試したいと考えていました」

その結果、大手メーカーに就職し、仕事に邁進する社会人生活を送る。業績が評価され、順調に昇進を果たしていた橋本さんに転機が訪れたのは入社6年目のこと。上司からグローバルな社内会議の通訳を急きょ頼まれたのだ。

「私は帰国子女で、帰国後も英語の勉強は続けていました。社歴を重ねていく中で専門知識もある程度あったので、できるだろうと引き受けたんです」

しかしいざ会議に参加すると、思うように通訳ができず途中で自信を喪失。

「語学力だけで通訳者は務まらない。瞬時の判断で正確に通訳をすることがいかに難しいか思い知らされました」

悔しい経験をしたものの、ここで負けず嫌いのスイッチが入る。

「私は“できそうでできないこと”があると性格的にスルーできない。がんばればできそうなことには、できるまで挑戦したくなるんです」

そこで橋本さんは、仕事と並行しながら夜間と週末を使って通訳スクールに通学。通訳者養成コースを修了すると、今度はある洋書の翻訳コンテストに応募し、見事に最優秀賞を獲得した。

「翻訳コンテストでいただいた5万円の賞金が私には衝撃でした。会社からお給料をもらうのとはまったく違う感覚。自分の力でもお金が稼げるのだと知り、人生の視野が広がりました」

翻訳の仕事を続けようと、通訳者・翻訳者の派遣エージェントに登録した橋本さん。しかし、エージェント社長との面接で予想外の展開が待っていた。

「私の経歴を見た社長から、翻訳者ではなく通訳者になることを勧められました。私には会社を辞める覚悟がなかったので、その場でお断りしたのですが、その後も熱心にお誘いいただき、私も徐々にその気になり……」

大手メーカーで築いたキャリアを捨てることには大きなリスクが伴う。橋本さんが最終的に転身を決意できた理由はどこにあったのだろうか。

「入社して9年経ち、仕事にマンネリを感じていた部分がありました。会社員の仕事は部署異動などをしなければ大きな変化がないものですが、一度きりの人生それでいいのかと。会社に残ってできることを繰り返すより、通訳者という〝できそうでできないこと〟に挑戦したい。不安はありましたが、最後はそれが決め手でしたね」

橋本さんが愛用している仕事道具の数々。マイドリンクを入れた水筒、のど飴、マスクなど、のどのケアに力を入れている。イヤホンとイヤホンジャック、送受信機などの機材も入念に準備

話し手のキャラクターになりきるための準備とは

橋本さんの通訳者としての第一歩となったのは、大手飲料メーカーでの常駐社内通訳。先輩の通訳者から基礎を学び、資料を集めて商品知識や専門用語を覚えるなど、会議や商談があるたびに毎回できる限りの準備をした。

「通訳者の仕事は入念な準備から始まります。それは今でも同じ。会社員時代は総合職でしたが、通訳は専門職。新しい挑戦で毎日が新鮮でした」

そして1年後、橋本さんは本格的な会議通訳者としての道へと踏み出す。

「社内通訳としては1年でやりきった感じがあり、ほかの現場でも自分の力を試したくなったんです。その後は複数のエージェントに登録し、一件一件の仕事依頼に対して全力で取り組む日々。最初の5年間は無我夢中で走り続けました。私の通訳者としての礎はこの時期に形成されたと思っています」

橋本さんがプロの通訳者として常にこだわっているのは、話し手のキャラクターになりきることだという。

「言葉をただ正確に通訳するだけではプロとして不十分だと思っています。すべての言葉には話し手の感情が込められている。私はその感情の代弁者でありたい。だからこそ話し手のキャラクターになりきる必要があるのです」

話し手のキャラクターになりきるというのは、単なる物まねをすることではない。人間性を理解する高度な準備作業が不可欠となる。

「私はとにかく話し手について徹底的に資料を集めて分析します。生い立ちや経歴、過去の発言をチェック。さらに本人や周囲のスタッフから話を聞くなどして話し手の性格を把握し、どのような価値観を持っているのか理解します。同じ価値観を共有するからこそ、言葉に込められた感情や行間に隠された真意を瞬時に読み解き、感情の代弁者となることができるのです。私はそこに通訳者としての付加価値があると考えています」

また、感情を伝える表現にも並々ならぬこだわりがある。

「喜怒哀楽の感情にはボリュームがあるじゃないですか。たとえば『うれしいです』という言葉でも熱量によって伝わり方がまったく違う。だからこそ通訳者には感情の熱量まで再現できる表現力も必須となります。そこで私は通訳の仕事をしながらアナウンススクールに通い、発声や発音、感情表現、間の取り方などについて学びました」

会議通訳の現場では、ネガティブな情報を伝えないといけない状況もある。しかし、そのまま通訳するだけでは交渉に悪影響が出そうな場合、橋本さんはできるだけ相手に不安を抱かせない表現や話し方を選んで伝えていく。

「通訳では喜怒哀楽をそのまま表現しないケースもあります。言葉に怒気が混じっている場合は特に注意。怒気は困っていることの裏返しであることが多いので、その場合に伝えるべきなのは、話し手が怒っていることではなく、何に対してどれだけ困っているかということになりますね」

日常生活を通して英語力を高める

多忙な日々を送る橋本さんだが、英語力の維持・向上にも余念がない。

「頭の中を常にバイリンガルにしています。日本語の新聞やニュースから新しい情報をインプットするときも必ず英語とセットで。英語で表現できない言葉や事象があればすぐに辞書で調べ、最適な表現を考えます。英語媒体から情報を仕入れる場合も同じ。通訳者を目指すなら単語帳に毎日10~20の単語を加えるくらいの努力をしてほしいですね。そういった地道な積み重ねが通訳の現場では力になりますから」

通訳者としてあくなき努力と挑戦を続ける橋本さんのエネルギーは、いったいどこから湧いてくるのだろうか。

「私はきっかけを与えられないと動かないタイプ。普通の会社員だった私が通訳者になれたのは素晴らしい出会いに恵まれたからです。人と人との出会いは人生の宝物。その出会いが言葉の壁で無意味なものになってはいけない。通訳は、そんな出会いや交流をサポートできる素敵な仕事です。だからこそモチベーションを維持できているのでしょう。これからも挑戦する心を忘れず、通訳者として成長していきたいと思います」

取材・文/谷口洋一 写真/三浦義昭
この記事は「通訳・翻訳キャリアガイド2019」に掲載されたものです。

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