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風間綾平さん

映画翻訳家として第一線で活躍する風間綾平さん。日本でも大ヒットとなったロックバンド・クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』の字幕翻訳も担当し、大きな話題となった。翻訳者の憧れでもある映画翻訳家のキャリアはどのように形成されたのか。これまでの歩みを振り返ってもらった。

“濃縮”された字幕に宿るプロとしての妥協なき姿勢

Profile:1961年神奈川県生まれ。立教大学経済学部卒業。3年間の証券会社勤務を経て、翻訳家を目指し翻訳学校に入学。映画配給会社の外部スタッフとして洋画の字幕翻訳に携わった後、フリーの映画翻訳家として活動を開始。これまで字幕翻訳を手掛けた作品は『少林サッカー』『スティーブ・ジョブズ』『オデッセイ』『ボヘミアン・ラプソディ』など多数。

字幕翻訳の本質を学んだ新人時代のチェック作業

日本での興行収入が130億円を突破し、2018年の国内公開作品で1位の記録となった『ボヘミアン・ラプソディ』。字幕翻訳を手掛けた風間さんにとっても忘れられない作品となった。

「私はもともと洋楽ファンであり、クイーンもリアルタイムで知っている世代なので、この作品の字幕翻訳はぜひ手掛けたいと思いました。とはいえ、クイーンを知る世代は年齢層がやや高くなるので、日本でこれほどの大ヒットになるとは想像していなかった。正直驚いています」

この作品では、セリフの翻訳だけでなく、作中で使われたクイーンの楽曲の歌詞も翻訳の対象だったという。

「今回は配給会社から特別に歌詞の訳出が許可され、必要な箇所には字幕で訳詞を載せています。フレディの心情と歌詞の内容が絶妙にシンクロする場面もあるので、歌詞の訳詞もすべて見直しました」

現在もある話題作の字幕翻訳作成を進めている風間さん。年10作品前後のペースで字幕翻訳を手掛けている。

「字幕翻訳の仕事は、オファーを受けて打ち合わせをしたら、まずスクリプト(台本)と映像が届きます。それをもとに作成した翻訳をクライアントに提出し、出し戻しを繰り返して完成させます。次にそれを映像にはめ込んでクライアントと一緒に試写を行い、必要な修正を加えたら今度は関係者を集めた試写を実施し、最終的な手直しをして劇場公開となるのが基本的な流れ。また作品によっては字幕翻訳だけでなく、日本語吹替版のための翻訳も一緒に担当する場合があります」

上映時間が2時間前後におよぶ長編映画のセリフは膨大な量になるものの、字幕の作成期間は驚くほど短い。

「オファーが来てから字幕が完成するまでの期間は作品にもよりますが、作業日数でいえばだいたい10日程度。長くても2週間ぐらいでしょうか」

作業期間が短くても妥協は許されないのが字幕翻訳の仕事。それだけに翻訳スキルと集中力が試される。風間さんは映画翻訳家として必要な資質をどのように身に付けたのだろうか。

「私は中学生の頃からバンドを組み、洋楽をよく聴いていましたが、英語を意識して勉強したことはありません。大学も経済学部で、自分が翻訳家になるなど考えたこともありませんでした」

その後も証券会社の営業マンとして順調に社会人生活をスタートさせたものの、その日々は長く続かなかった。

「物書きになりたくて就活では出版社を志望していたのですが、どこにも採用されず、友人の誘いで当時のバブル景気に沸く証券会社に入りました。しかし、目指していた仕事ではなかったのであまり身が入らず、入社3年目で次の道に進むことを決断。ところが、いざ退社しても自分が何をやりたいのかわからない(笑)。自宅でゴロゴロしながら悶々としていた時、ふと翻訳家を目指してみようと思い立ったんです」

一見すると唐突なひらめきに思えるが、よくよく考えてみれば〝翻訳〟という作業にずっと興味を抱いている自分に気付いたのだと語る風間さん。

「思い返せば、学生時代は『サウンドストリート』(NHK-FM)の洋楽歌詞の誤訳を指摘するコーナーが好きで毎週聴いていたし、河野一郎さんの『翻訳上達法』という本を熟読し、英文のエッセイなどを訳す授業も楽しみだった。でも自分が翻訳家になるという発想はそれまでまったくなかったですね」

さっそく翻訳学校に入学を申し込んで勉強を開始。かつて出版社志望だったこともあり、文芸翻訳者を目指した。

「授業を詰め込みたかったのですが、文芸翻訳のコースだけでは空き時間があったので並行して取れるコースを探したところ、たまたま映画翻訳家の養成コースがあったんです。洋画は昔から好きだったし、講師の翻訳家が有名な岡枝慎二さんだったこともあって受講することにしました」

作成した翻訳テキストを映像に字幕としてはめ込んで確認できる、字幕翻訳の仕事には不可欠となるソフトSST(Windowsのみ)。データをメールで送信できるのも便利。ただし高価なので完全なプロ用

報われなかった苦労も決して無駄にはならない

空き時間の埋め合わせが目的だったものの、この受講がきっかけで映画翻訳家としての道が一気に開ける。

「映画翻訳家は狭き門で現実的な進路とは思えませんでしたが、ある日、修了した生徒に、成績順に仕事を斡旋するという話が舞い込んできたんです。そこで何とか結果を出すと、本当に映画関係の仕事を任せてもらうことに」

紹介されたのは映画配給会社の外部スタッフとしてビデオ化される洋画作品の字幕翻訳を最終チェックする仕事。その当時は街にレンタルビデオ店が急増していた時期であり、実績のない新人にも仕事が回ってきたのだ。

「他に翻訳チェックや校正者がいたので、私は作成された字幕の内容を確認する役割。この仕事を約3年間担当しました。直接自分が翻訳する仕事ではありませんでしたが、この時に培った経験がなければ今の私はなかったと言えます」

セリフを翻訳することだけが字幕翻訳の仕事ではない。西洋とは文化も歴史も宗教も異なる日本人だからこそ、分からないことは徹底的に調べる、細かい部分まで確認する。こうした地道な作業こそが字幕翻訳という仕事の本質であると風間さんは力説する。

「例えば、軍人の『中尉』という階級は英語で『First lieutenant』、『少尉』は『Second lieutenant』となるのですが、会話では簡略化されてどちらも『lieutenant』と呼ぶ場合が多い。中尉と少尉が話すのと、中尉同士が話すのとでは両者の関係性がまったく異なるので、軍人がアップになるシーンで軍服の階級章を確認し、中尉と少尉を見分けていく。このように、あらゆる手段を使って疑問や気になる点をすべてクリアにしていきます。時には作品の配給元を通じて海外の制作スタッフに確認するケースもありますね」

さらに翻訳作業で難題となるのが、何かを引用したセリフだという。

「不自然な言い回しや英単語が出てきたらそれは何かの引用である場合が多い。引用元として多いのはシェイクスピア作品や名作映画のセリフ、聖書、スラング、著名人のスピーチなど。引用元を見つけ出す作業は苦労する半面、謎解きの要素もあって面白い。その作業を苦痛に感じるか、楽しいと感じるか。そこに映画翻訳家としての適性があるのではないかと思います」

さらに、字幕翻訳には他分野の翻訳作業にはない苦労もある。画面に出した字幕は一定時間以上表示して読ませるとともに、映像の進行に遅れず合わせていく必要があるため、表示できる文字数には限界があるのだ。

「苦労して調べた情報でも文字数制限により字幕に載せられないケースは多々あります。文字数を削った結果、調べる前と結局同じ訳文になってしまうことだってある。でもそれは決して無駄ではない。たとえ同じ訳文でも、調べずに作った訳文より、徹底的に調べた情報を〝濃縮して作り上げた訳文〟のほうが自信をもって送り出せる。文字数を言い訳にして楽をするようでは一流の映画翻訳家にはなれません」

そういった妥協しない姿勢が風間さんのステップアップにつながっている。

「字幕翻訳は売り込みで仕事をもらえるような世界ではありません。映画配給会社との契約が終わった後は苦しい時期もありましたが、自分にできるのは、翻訳家として信頼を得られるように、来た仕事を全力でこなすことだけ。私の場合は『少林サッカー』という香港映画の字幕を担当して以降、少しずつ仕事が増えるようになりました」

『少林サッカー』では翻訳作業の過程でブルース・リーへのオマージュが作中にちりばめられていることを見抜き、字幕を通して作品の世界観をより忠実に伝えることに成功した。

「調べてみると監督で主演のチャウ・シンチーはブルース・リーの大ファンであることがわかった。だからこそ字幕にも彼の想いを反映させたのです」

最後に映画翻訳家という仕事の魅力について聞いてみた。

「自分の作った字幕が映像や音楽と一体になる醍醐味は他分野の翻訳では味わえません。求められる資質が語学力だけではないところもこの仕事の魅力。今まで見た映画やテレビ、読んだ本、行った旅行先、友人との会話など、自分が経験したことのすべてが翻訳するうえでの引き出しになる。やる気さえあれば語学力は後から身に付けても間に合います。チャンスの多い世界ではありませんが、目指す価値のある仕事だということはお伝えしたいですね」

取材・文/谷口洋一 写真/田村裕美
この記事は「通訳・翻訳キャリアガイド2020」に掲載されたものです。

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