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岡田壯平さん

映画字幕翻訳家の第一人者である岡田壯平さん。これまで『ショーシャンクの空に』『レオン』など600本以上の劇場公開作品などの字幕を担当している。しかし、字幕翻訳家デビューは30代という遅咲き。建築家から転身を果たした異色の経歴をもっている。波瀾万丈の歩みを岡田さんに振り返ってもらった。

作品に感情移入するからこそ観る人の心に届く字幕となる

Profile:1953年東京都生まれ。上智大学文学部英文学科、早稲田大学理工学部建築学科を卒業。一級建築士。東北新社にアルバイトで入社し、映画字幕翻訳者として独立。翻訳を担当した作品は600本以上。現在は翻訳学校で講師も務めている。字幕翻訳を手がけた主な作品は『レオン』『ショーシャンクの空に』『ワイルド・スピード』シリーズなど。テレビドラマでも『プリズン・ブレイク』シリーズなど人気作品を担当。

電話1本で実現した字幕翻訳家への転身

中庭に陽が差し込む洗練されたデザイン住宅。ここが岡田さんの自宅兼仕事場。字幕翻訳家になる前に取った建築士の資格で設計を手掛けたという。

「私は建築界の巨匠であるフランク・ロイド・ライトにずっと憧れていて建築家になるのが夢でした。翻訳家になるとは想像もしませんでした(笑)」

ところが大学ではなぜか英文学科を選択。英語や英文学を4年間学んだ経歴が後の岡田さんを助けることとなる。

「理数系が苦手だったので建築学科には入れそうもない。そこで英文学科に入って英語力を身に付け、アメリカの大学で建築を学ぼうと考えたんです。ただし理由はもうひとつあり、昔から英文学が好きだったので原文を読んでみたいという好奇心もありました」

その後、学士編入という形で早稲田大学の建築学科に入学。アメリカに行かなくても晴れて建築家となった。

「卒業後に一級建築士の資格を取り、設計事務所を開設。ここまでは順調だったのですが、実績に乏しかったので仕事の受注には苦労しましたね」

岡田さんに人生の転機が訪れたのは32歳のとき。同居していた今の奥様がつぶやいた“明日のお米がないわよ”というひと言がきっかけだった。「それを聞いてこのままではダメだと。何か他の仕事はないかと考えるうちに、英語が活かせるし、両親が役者だったこともあり映画翻訳の仕事を思いついた。そこでテレビで放送していた映画のエンドロールから“東北新社”という文字を見つけ、連絡先を調べてアポなしで電話をしたというわけです」

無謀とも思える未経験者の売り込み。しかし、事態は一気に加速する。「電話をしたらすぐに担当者につないでもらって〝明日来なさい〟と。こっちもビックリですよ。翻訳は未経験でしたが、上智大学の英文学科で学んだ経歴が評価されたのかなと思います」

アルバイトではあったが『奥さまは魔女』や『スパイ大作戦』などの翻訳を手掛けた木原たけし氏に師事し、恵まれた環境で映画翻訳の基礎を学ぶ。新人ながら劇場公開作品をビデオ化する仕事のアシスタントも任された。

「当時の日本はレンタルビデオ店の出店ラッシュ。幸運にも劇場公開作品をビデオ化するにあたって字幕を付け直す仕事が山ほどあった。劇場版の字幕を担当した翻訳者と字幕の内容をチェックする補佐的な仕事でしたが、戸田奈津子さんや進藤光太さんといった字幕翻訳の第一人者ともご一緒できて、たくさん勉強させていただきました」

アシスタントを務めながら、劇場公開作品の字幕翻訳者としてもデビューを果たした岡田さん。ビデオ化の仕事が落ち着いたタイミングで3年半在籍した東北新社を離れ、フリーランスの映画字幕翻訳者として独立した。

「後日談ですが、奥さんの〝明日のお米がない〟という発言は、ただ単にお米の買い置きが切れたと言いたかっただけだそうで(笑)。人生は本当に何が転機になるのかわかりませんね」

映画にとって字幕は黒子でないといけない

独立したものの、それまでアシスタント中心で実績が乏しかった岡田さん。見切り発車だったと当時を振り返る。

「何とかなるだろうと最初はのんびり構えていましたが、そんな私を見かねたのか、テトラ社(フィルムへの字幕打ち込みをしていた制作会社)の経営者だった神島きみさんから、〝新人の女性字幕翻訳者は配給会社をまわっている。あなたも売り込みに行きなさい〟との助言をいただいたんです。そこでPR書類を作成し、ダメもとでいくつかの配給会社をまわったら、すぐに仕事が決まって驚きました」

ここから字幕翻訳者としてのキャリアは軌道に乗る。実はこの話にも後からわかった後日談があったのだ。

「神島さんが配給会社に連絡し、〝岡田くんという字幕翻訳者が行くからよろしく〟と事前に根回ししてくれていたのです。神島さんとは東北新社時代に少しお仕事をしただけだったのですが、自分の仕事ぶりを評価してくれていたみたいで。たとえ小さな仕事でも真面目にやっていれば、誰かが見ていてくれるのだと学びましたね」

その後、字幕を担当した『レオン』や『ショーシャンクの空に』が日本で大ヒットするなど、字幕翻訳の第一人者へとステップアップ。翻訳スキルも経験とともに磨かれていった。

「字幕の翻訳で誤訳は許されません。だから最初の頃はどうしても英文に合わせすぎて説明的な日本語になってしまう。英文は人称代名詞や所有格が多いので、そこを適切に省くと読みやすい字幕になる。いくら正しく訳しても読み切れない長さの字幕では本末転倒。無駄な部分を見極め、いかにそぎ落とすかがポイント。このスキルを身に付けるには経験を積むしかありません」

ときには台詞の意味合いを明確にするために、日本語訳ではあえて言葉をそぎ落とすケースもあると語る。

「『レオン』の序盤、マチルダとレオンが言葉を交わすシーンで、「Is life always this hard, or is it just when you’re a kid?」という台詞があり、私は〝大人になっても人生はつらい?〟と短く訳しました。本来なら“それとも子ども頃だけ? ”という訳文がその後に続くのですが、現状(子どもの頃)のつらさは幼いマチルダの傷を負った顔を観れば痛いほど理解できる。だから後半部分を切リ落とし、前半だけを残すことで、マチルダが未来に絶望している心情をより鮮明にしたわけです」

字幕に込められたプロのこだわり。それでも「映画にとって字幕は黒子でなければいけない」と語る岡田さん。その真意はどこにあるのだろうか。「映画を見終わったとき、字幕で観たのか吹き替えで観たのか分からなくなるような字幕が理想。私たちは観る人に文字をいかにストレスなく無意識で読ませるかを追究している。だから字幕に存在感があってはダメなんです」

ご自身で設計された自宅にある岡田さんの仕事部屋。高圧縮された映像を見ながら、まっさらな台本にハコ書きを入れていくところから始める

すべての映画の字幕は感動を伝えるためにある

世界的人気を誇る『ワイルド・スピード』シリーズの最新作(2021年8月公開)でも字幕を担当した岡田さん。これまであらゆるジャンルの作品に字幕を付けてきたが、ヒット作より苦労した作品が印象に残っているという。

「いつも苦労するのは金融や株取引、企業買収がテーマの作品。とにかく専門用語が多いので金融用語事典を買って読んだり、専門家に話を聞いたり、原作を取り寄せて読んだりして、何度も悪夢を見ましたね(笑)」

逆に好きなジャンルはあるのか聞いてみると意外な答えが返ってきた。

「私が翻訳していて一番ウキウキするのは恋愛映画! ラブストーリーって会話がオシャレだし、繊細な心情を表すような台詞も多い。特に女性の台詞は訳していて楽しいし、翻訳者としての腕の見せどころがたくさんあるんですよ。ただし、恋愛映画は女性の字幕翻訳者が担当する場合が多いので、もう少しこっちにもまわしてほしいと内心では思っています(笑)」

台詞の翻訳が好きなのは、役者だったご両親の影響が大きいようだ。

「映画の翻訳には、字幕翻訳と吹き替え翻訳があるのですが、私はもともと吹き替えの翻訳をやりたかった。両親が家でよく台本を読んでいたので、子どもの頃から映画や舞台の台詞を聞き慣れていた。劇中の台詞ってカッコイイじゃないですか。だけど私が翻訳者となった当時は今と違って字幕版しか劇場公開されず、吹き替え版はほぼビデオしかなかった。だから昔は映画翻訳=字幕翻訳だったんです」

今では字幕翻訳者でよかったと語る岡田さん。字幕ならではの奥深さも知り、向上心は一切衰えていない。

「映画の翻訳って感動を伝える仕事なんですよ。これは進藤さんや、ワーナーの映画製作室長だった小川政弘さんに教えられたことですが、作品に感情移入をしないと良い訳は書けない。だから字幕には自分が感じた感動を乗せます。といっても意訳をするわけでも主観を入れる訳でもありません。作品の世界観に入り込み、感情移入することが大切なのです。音楽に言い換えるなら、ピアニストも譜面から得た感動をひとつひとつの音に乗せる。だから聴く人の心に届く演奏になる。ただ漠然と譜面通りに弾く演奏とは伝わる感動がまったく違うわけです」

作品に感情移入をすることで仕事がより楽しくなるとも教えてくれた。

「毎回、私は字幕を付けながら感情移入して作品の世界観に入り込むので、何百通りの人生を生きた気持ちになる。こんな贅沢な仕事はないでしょう」

最後にこれから映画翻訳の道を目指す人たちに向けてエールをもらった。

「近年は動画のサブスクリプションが普及したことで映画翻訳者の需要が高まり、デビューするチャンスも増えました。しかし、せっかくデビューしたのにそこで満足してしまっている人が多いように感じます。やるからには映劇場公開作品の翻訳を目指してほしい。私みたいに売り込むのもいいし、チャンスは思わぬところに転がっている。映画が好きな気持ちをもち続けて頑張っていれば道は開けるはずです」

取材・文/谷口洋一 写真/田村裕美

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