桂田アマンダ純さん
会議通訳者として専門分野の自動車業界を中心に、幅広いジャンルで活躍している桂田アマンダ純さん。通訳者・翻訳者として約10年もの経験を積んだ後、大学院に入って通訳を学び直した意外な経歴をもつ。紆余曲折を経てトップ通訳者となったアマンダさんにこれまでの歩みとキャリアデザインの心得を聞いた。
通訳者・翻訳者にとって無駄な経験はひとつもない
英語の習得を目指した理由は、母親とのコミュニケーション
フリーランスの会議通訳者として多彩なキャリアをもつアマンダさんは、日米のハーフで母親がアメリカ人。日本で生まれ育ち、近所の公立校に通っていたものの、母親の教育方針のおかげで英語には幼少期から接してきた。
「家では父親から日本語で、母親からは英語で話しかけられていました。教育方針というよりも、母親は結婚してから日本に来たので日本語があまり得意ではなかったんですよ(笑)」
当時、プロのバレエダンサーを目指していたというアマンダさんに転機が訪れたのは高校1年生の夏。叔母の住むアメリカで地元の高校のサマースクールに通ったことがきっかけだった。
「バレエに行き詰まっていた時期で気分転換のために渡米したのですが、アメリカでは自分の話す英語が通じなくてショックでした。私が知っていた英語とは全然違う。たとえば、〝I’m sorry〟という言葉でも、〝すみません〟という意味だけではなくいろんな使い方があることに驚きましたね」
さらに、ネイティブの英語と接して気付いたことがあったという。
「母親は英語がつたない私と会話するために、いつもわかりやすくトラディショナルな言葉を選んで話してくれていた。アメリカに来てそれに初めて気付きました。思い返せば母親と深い話をした記憶がほとんどない。だからこそもっと英語力を高めて母親といろんな話をしてみたいと思ったんです」
アマンダさんはそのままアメリカに残ることを選択。英語力を身に付けペンシルバニア州の大学に進学した。
「英語が上達するにつれて母親ともそれまでできなかった深い話をできるようになりました。お互いが何を考えているのかも理解し合えて嬉しかったですね。今でも母親とはよく話をしますし、英語力を落とさないための貴重なレッスンの場にもなっています」
大学では日本にいた時から興味があった文化人類学および考古学を専攻。ここで学んだことが後に活かされる。
「子どもの頃から歴史が好きで、日本史や世界史の本をよく読んでいました。特に考古学に関しては『考古学ジャーナル』というマニアックな専門誌を読んでいたぐらい好きだったんですよ」
充実した学生時代を過ごすも、就職活動では不況で人文系の募集が少なく苦戦を強いられる。そんな状況で足を運んだとあるジョブフェアにおいて、ゲーム会社のスクウェア(現スクウェア・エニックス)が出していた翻訳者募集の求人を見つけて飛びついた。
「翻訳は未経験でしたが、大学で日本から講師を招いた狂言のワークショップがあり、私が通訳を務めたことがあったんです。終わった後にすごく感謝されて、自分でも人の役に立てるんだと感激しました。そんな実体験もプラスに働いたように思います」
入社後は東京の本社でローカリゼーションスペシャリストとしてフル回転の活躍を果たす。
「私の担当は日本語で作られたゲーム作品を海外で販売するためのローカライズ。まずゲーム中に表示される文字や文章、登場人物が話す言葉などを英訳。さらに、そのゲームが外国の文化に適合するかどうか細かくチェックします。登場人物のジェスチャーや使用するアイテムなども違和感や不適切な部分があれば修正。アメリカ版とイギリス版を別々に作るゲームなどもあるので、そういった場合はより繊細なローカライズが求められます」
次々と人気ゲーム作品のローカライズを任され、ウォルト・ディズニー社と提携した大作『キングダムハーツ』シリーズのボイスオーバーにも携わるなど着実に実績を重ねていく。
「大学で文化人類学を学んでいたため、文化の地域差に関しては得意分野。ゲーム作品によっては歴史や考古学の知識も役立ちました。人生に無駄な経験なんてないんだと実感しましたね」
スキルアップを目指して32歳で名門大学院に入学
信頼を勝ち取りスクウェアでの仕事は順調であったが、アマンダさんは3年半で退社を決意。フリーの通訳者・翻訳者として活動を始める。20代半ばでの独立に不安はなかったのだろうか。
「会社では大きな仕事を任され、やりがいも感じていました。とはいえあまりにも多忙だったし、若いうちにゲーム業界以外にも活動のフィールドを広げたいという考えもありました」
エージェントに登録し、キャリアを活かしてゲーム業界での仕事をこなしながら新しいクライアントを開拓。モータースポーツやエンタメ業界などの仕事も受注し、精力的にこなしていった。
「フリーになってある程度仕事の幅は広がりましたが、収入面ではまだ不満があったし、自分の通訳スキルにも満足はしていませんでした。私は通訳のスキルをちゃんと学校で習った経験がないので、どこかでしっかり学びたいという気持ちを抱えていたんです」
そこでアマンダさんは驚きの行動に出る。仕事をいったん白紙にしてアメリカの大学院に入学したのだ。留学先は通訳者・翻訳者を養成するモントレー国際大学院(現ミドルベリー国際大学院モントレー校)。通訳スキルを学ぶうえで世界有数の名門校である。
「留学時はすでに32歳。思い切った選択でしたが、スキルアップするために最高ランクの環境で学びたかった。でも想像以上にレベルが高く、実際はついていくだけでも大変でした」
モントレー校には世界中から有能な人材が集まり、各国政府や国際機関で働くエキスパートを数多く輩出している。進級試験、卒業試験の合格ラインも厳しく、MACI(会議通訳学修士号)を取得するのは簡単ではなかったが、その分だけ得たものも大きかった。
「実践的なカリキュラムで通訳スキルを高めるだけでなく、多国籍の学生と一緒に学び、お互いにフィードバックすることでさまざまな国の文化や価値観を知ることができました。夏休み期間中にジュネーブの世界知的所有権機関(WIPO)でフェローシップを経験できたことも勉強になりましたね」
無事に卒業してMACIを取得したアマンダさんは米国ホンダに入社し、オハイオ研究所で社内通訳を担当。2年半務めた後に帰国し、再びフリーの会議通訳者として活動を再開する。
「最初からフリーランスで幅広いジャンルに携わりたいという希望がありましたが、まずは社内通訳として場数を積みました。それに自動車メーカーの通訳というのは、研究開発から製造、特許関連、新車発表会、販促イベント、経営会議など対応する業務が多岐に渡る。最近では自動運転の実用化や環境問題など社会性のある課題にも取り組んでいて、社内通訳でありながら多分野を経験できる利点がありました」
通訳者を目指すことに年齢は関係ない
ハイテク産業やベンチャーキャピタル、原子力関連など、年々仕事の幅を広げているアマンダさん。自動車業界という専門分野があるにも関わらず、なぜ専門外のジャンルにも積極的にチャレンジしているのだろうか。
「会議通訳者なら専門分野で地位を確立したほうが仕事を取りやすいし、報酬も高くなる。なにより経験を活かして質の高い通訳ができる。でもせっかくフリーランスで活動しているのに特定のジャンルにとどまっているのはもったいない。私は好奇心旺盛でいろんな分野に興味があるので、新しい経験や出会いも財産だと思っています」
しかし、専門外の分野を担当する場合、事前に相当な準備や予習が必要となるため、労力も大きくなる。
「確かに大変な部分もありますが、先程も言ったように自動車業界は関連分野が多岐に渡るのであらゆる知識が必要となります。苦労して身に付けた知識が自動車業界の仕事にも大なり小なり還元される。通訳者にとって無駄な経験なんてひとつもないんですよ」
他分野のクライアントから信頼される通訳者になれた理由はどこにあるのだろうか。本人に分析してもらった。
「私は疑問点があればクライアントにすべて尋ねます。自信がないと思われるのであまり質問はしないという通訳者もいますが、会議や商談には必ず目的がある。今日はどこまで話を進めたいのか、どういう結論を目指すのか、共通理解をもって通訳することが大切。また、こちらがお願いする立場なのか、対等な交渉なのか、現場によって相手との力関係にも違いがある。その辺りも事前に確認するようにしています」
最後にこれから通訳者を目指す人たちに向けてメッセージをもらった。
「通訳者にとっては、仕事でもプライベートでも人生を通して得た知識や経験がすべて武器になります。だから社会人になってから通訳者を目指しても遅いなんてことはありません。年齢に関係なく、自分が歩んできた人生に自信をもって頑張ってください」
取材・文/谷口洋一 写真/田村裕美