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【連載コラム 第8回】辛酸なめ子の英語寄り道、回り道

タイ語の専門家とのトーク

 ここ数年で人気が定着したタイBL。配信ドラマも年々増加して、タイBLの小説を日本語に訳した本も出ています。先日、『The Miracle of Teddy Bear』(U-NEXT)を翻訳されたタイ 現代文学の専門家の福冨渉さんと、ゲンロンカフェでのイベントでご一緒させていただきました。

 『The Miracle of Teddy Bear』は小説が上下巻合わせて約800ページというすごいボリューム。U-NEXTでドラマも配信されています。設定は、ある朝目覚めたらテディベアがイケメンに変身してしまう、という、カフカの『変身』と『トイストーリー』を足して割って、もっと夢見がちで多幸感で満たしたようなストーリー。テディベアだったタオフーは、持ち主のナットくんのことが大好き。見た目も心も天使のようなタオフーがナットや母親の心を癒し、無償の愛で包み込むという、感動と萌えが渦巻くBLです。ぬいぐるみがいきなり青年になったので、全裸で現れるのですが、お母さんは警察に通報することもなく、「星の王子様!」と優しく受け入れるという、そんな平和でユルい要素もタイのドラマの魅力かもしれません。

 こちらの小説、拝読しましたが、とにかく描写が細かくて丁寧です。例えば、タオフーとナットくんが並んで歯磨きするシーン。

 「タオフーは自分の口の歯磨き粉の泡とナットくんの口の泡を見比べて、幸せな笑みを浮かべた。ナットくんのほっぺたは自分のものより丸っこい。歯ブラシが口に入るとそのほっぺたが余計に突き出る。こちらを見つめている顔もクリクリとしている。そこに唇のまわりの泡が重なると、お母さんにむりやり歯を磨かされているいたずらっ子みたいに見える」

 この調子で描写していたらページ数が膨大になるのも納得です。情景が目に見えるようです。ラブシーンの描写もかなり細かくてドキドキしました。

 福冨渉さんによると、作者のPraptさんは、直木賞級の賞を受賞した30代の若手のタイ文学の旗手。ただの萌え系の小説ではなく、タイの社会情勢が書かれていたり、目次のタイトルでタイの歴史を学べるようになっています。例えば「タイ人はアルタイからやってきた」「追放された詩聖シープラート」「ラーマ四世が創作した第一の碑文」「象を用いる戦」など、内容とはあまり関係ないですが、意味深で知的なタイトルがかっこいいです。タイBLでタイに興味を持った人が、さらに向学心が刺激されます。福冨さんいわくタイには教科書が一種類しかなくて、権力者の都合の良いように編纂された歴史以外は認められていないそうです。この目次のタイトルで、そんな風潮にさり気なく疑問を呈しているとのこと。福冨さんは、本の編集者さんに、もっとキャッチーでBLっぽい目次に変えてはどうかと提案されたそうですが、交渉の末、作者の意図を大切にして、そのまま訳されたそうです。

 タイBLのピースフルな雰囲気から、タイはオープンマインドなほほえみの国というイメージを抱いていましたが、政府や王族の力が強く、抑圧されている部分も大きそうです。とくに国王について意見を言うことはタブーだとか。他に禁じられているものといえば、ギャンブルや賭博関係。福冨さんは、トランプを持っていただけで逮捕されそうになったことがあるそうです。UNOは大丈夫ですが、サイコロとか一発でアウトかもしれません。

columnphoto

 また、ドラマを見てタイ人は世話好きで親切な方々だと思っていましたが、実はそうとも限らないようです。

「私見ですが、タイ人は日本人に比べると他者に対する興味が薄いです。なので、人を助けるシーンがやたらとロマンチックに描かれている印象があります」と、福冨さん。

 タイBLでよく出てくるのはケガや病気で好きな同士、看病したりされたりする萌えシーン。日常でよく見られる光景なのかと思ったら、実はめったにない貴重な場面だったのかもしれません。

 また、気になっていたのはタイの俳優の学歴の高さ。タイで高卒だとソーシャルクラスが下がってしまうそうで、俳優でも好きな仕事につくためには名門大卒が有利なようです。以前、タイBLに出ている人気の俳優に取材する機会がありましたが、見た目もかわいくて、タイの東大的な大学出身者(チュラロンコン大学)が何人かいて驚きました。日本では香川照之くらいしか思い浮かびません……。 

 「2gether」で人気のBrightとWinの出身大学について、日本の大学に例えてもらったら、「Brightはタマサート大学からバンコク大学に転入したので、一橋大学から明治大学に行ったような感じ。Winもタマサート大学なので一橋大学レベル」と、わかりやすい説明が。あんなにビジュアルが最高で学歴も高くて……ますます尊い存在だと憧れの念が募ります。いっぽうで日本の芸能界の方が学歴不問で夢がある気もします。

 福冨さんご自身は東京外国語大学でタイ語を専攻し、タイでは日本でいう学芸大学級の大学で留学されたそうで、かなりの語学力と知力の高さを感じさせます。タイのドラマがこんなに日本で流行るとは、当時全く予想もしていなかったそうで、タイ語を選択したのは先見の明があります。ビルマ語やラオス語を専攻した人は、タイブームを見て悔しがっているかもしれません。入試のときマイナーな言語ほど、倍率がちょっと低い、という実情もあるようですが……。

 今は母校の東京外国語大学オープンアカデミーで講座を持たれていますが、即埋まってしまうほどの人気です。タイブームにあやかって学びたかったのですが、講座はプラチナチケットで受けられないので、簡単なセリフを教えていただきました。

 以前、同じくタイ語の翻訳や通訳の仕事をしている高杉美和さんに、タイの俳優に会った時の「イケメンですね」の言い方を教わり、それは「クンローマーク」(「クン」はあなた、「ロー」はかっこいい、「マーク」はすごくの意)という表現だったのですが、今回、他に喜ばれそうなほめ言葉を伺うと……

 「『テー』というのは、雰囲気がかっこいい、という意味です」と、福冨さん。

 「テー」この短い単語なら覚えられそうです。また誰か来日したら、一つ覚えのように「テー!」を連呼し、ほほえみを交歓したいです。

辛酸なめ子漫画家・コラムニスト。1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。精神世界、開運から皇室、アイドル観察、海外セレブまで幅広いテーマを対象にエッセイと挿絵で人気を得る。著書に『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)、『スピリチュアル系のトリセツ』(平凡社)、『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』『新・人間関係のルール』(光文社新書)、『女子校礼讃』『辛酸なめ子の独断!流行大全』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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