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    越前先生の「この英語、訳せない!」

【連載コラム 第6回】
越前先生の「この英語、訳せない!」

ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。

possibility 複数形になったら要注意

 possibilityという語は、ほとんどの人が機械的に「可能性」と訳しますが、それが適訳とは言えない場合もずいぶんあります。特に、これがpossibilitiesと複数形になっているときは要注意。この語は「可能性」の意味のときは不可算名詞であり、複数形にはなりません。可算名詞のときは「機会」「手段」「選択肢」といった意味になることが多いです。

 たとえば、『ストーリー』(ロバート・マッキー、フィルムアート社)には、“Given over two dozen principle genres, possibilities for inventive cross-breeding are endless.”という一文があります。物語のジャンルがいくつもあるということを言っていて、わたしの訳文は「おもなジャンルだけでも二十を超えるのだから、独創的なジャンルを組み合わせる手立ては無限にある」。ここでのpossibilities は、抽象的な「可能性」ではなく、具体的なジャンルの数を表しているので、「手立て」のような訳語のほうが適切です。

 また、“Lucy is a possibility for Fred’s wife.”のような例では、妻となる「可能性」を持った女性が何人かいるという含みがありますから、「候補のひとり」などの訳語を選ぶといいでしょう。

 『ダ・ヴィンチ・コード』(ダン・ブラウン、角川文庫)のパロディ本 The Da Vinci Cod(Don Brine、未訳)には、“decipher and study the codic possibilities of anagrams”という言いまわしが出てきます。codicというのはおそらくこの作者の造語で、code(暗号)の形容詞だと考えられますが、ここを「アナグラムの暗号の可能性を解読して研究する」と訳しても、何を言っているのかわかりません。アナグラムは文字の並べ替えで、その答は何通りもあり、ここは何通りもある答そのものをpossibilitiesと表現しているのですから、もし訳語を与えるなら「例」「選択肢」あたりがふさわしいでしょう。あるいは、全体を「アナグラムのいろいろな暗号を解読して研究する」などとまとめてしまう手もあります。

* 本コラムは『この英語、訳せない!』(ジャパンタイムズ出版刊)から抜粋して掲載しています。

 

越前敏弥(えちぜん としや):文芸翻訳者。1961年、石川県金沢市生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(KADOKAWA)、など多数。著書に『この英語、訳せない!』『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ出版)、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。


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