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    越前先生の「この英語、訳せない!」

【連載コラム 第7回】
越前先生の「この英語、訳せない!」

ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。

integrity - 訳語がビシッと決まらない

 翻訳者になる前のわたしは、一時期、留学カウンセラーとして、海外のビジネススクールに入学したい人へのエッセイ作成指導などをしていました。願書を作成するにあたって、よく話題になったのが、学校側が新入生に求める最も重要な資質は何かということでしたが、各校の応募要項を読んだりadmission officeの担当者たちと話したりし、答としていちばん頻繁に出てきたことばが integrityでした(2番目がmaturity)。

 このintegrityを的確な日本語にするのは非常にむずかしいです。
Longman Dictionary of Contemporary English にはふたつの説明があり、それは

 ⑴ the quality of being honest and strong about what you believe to be right  
 ⑵ the state of being united as one complete thing

ですが、感覚的には ⑴ と ⑵ の両方を合わせたようなことばだという気がします。⑴ からは「正直」「清廉」「誠実」など、⑵ からは「完全性」「統合性」などの訳語が浮かび、現実にはどちらかに寄せて訳すことになりますが、本音としては長々しく「真摯な人物の具えた総合的判断力」とでも言いたいところです。

 以前訳した小説で、ある男が死んだ同僚を偲んで“I always found him to be a man of integrity.”や“He is a man who’d rather take his life, rather than live with a compromised integrity.”と褒め讃える場面があり、わたしはそこを「高潔の士だとずっと思っていました」「清廉潔白な生き方を曲げるくらいなら、むしろ死を選ぶ人でした」と訳しました。だれかの全人格を表す場合は、思いっきり強い訳語でかまわないと思います。

 また、 ⑵ の意味で人間以外のものを説明している場合も、訳しにくいことが多いです。preserve the integrity of the crime sceneなどは、「犯行現場の完全性を保存する」では何が言いたいのかよくわからないので、「犯行現場をそのまま(の状態で)保存する」ぐらいがいいでしょう。

* 本コラムは『この英語、訳せない!』(ジャパンタイムズ出版刊)から抜粋して掲載しています。

 

越前敏弥(えちぜん としや):文芸翻訳者。1961年、石川県金沢市生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(KADOKAWA)、など多数。著書に『この英語、訳せない!』『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ出版)、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。


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