【連載コラム 第8回】
越前先生の「この英語、訳せない!」
ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。
enterprise - もとにあるのは冒険心
enterpriseはもちろん、企業や事業という意味で使われることが多いですが、もともとは冒険心や冒険的な企てを表すことばで、それがやがて「冒険的な事業」という意味を持つようになりました。そう言えば、アメリカのスペースシャトルも〈スタートレック〉の宇宙船も、ともにEnterpriseという名前ですね。
これが元来の意味で使われている場合はなかなか訳しにくく、辞書どおりの訳語ではうまくいかない場合もあります。例をふたつあげましょう。
“Enterprise and effort,” he would say to us (on his back), “are delightful to me.”
「進取の気性と努力はすばらしいものです」スキンポールさんは(ねころがりながら)おっしゃいます。
(『荒涼館(二)』ディケンズ、佐々木徹訳、岩波文庫)
Though it had been his habit to take lead in all new enterprises:
どんな新しい遊びでも先頭に立つのが習慣だったのに
(『トム・ソーヤーの冒険』マーク・トウェイン、柴田元幸訳、新潮文庫)
enterprisingについても同じで、「積極的な」「商売気のある」といった意味ですが、文脈によってはこんな訳し方もできます。
the blackmailer wasn’t a fellow cruise passenger, but, rather, some enterprising scammer(後略)
脅迫しているのは同じ船に乗り合わせた者ではなく、(中略)小ざかしい詐欺師である
(『復讐はお好き?』カール・ハイアセン、田村義進訳、文春文庫)
このほか、わたしの訳書『夜の真義を』(マイケル・コックス、文春文庫)には、some enterprising drudgeを「商魂たくましい変わり者」とした個所があります。
* 本コラムは『この英語、訳せない!』(ジャパンタイムズ出版刊)から抜粋して掲載しています。
越前敏弥先生の本