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    越前先生の「この英語、訳せない!」

【連載コラム 第9回】
越前先生の「この英語、訳せない!」

ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。

irony - 二面性こそが本質

 ironyという語は、よく「皮肉」と訳されます。皮肉というのは、事実を遠まわしに言ったり、わざと正反対を言ったりして、相手を批判したりからかったりすることですね。また、意図したこととは異なったり、逆になったりすることを指して「皮肉な結末」「運命の皮肉」などと言う場合もあります。どちらの場合もironyと呼んでかまいませんが、前者のときはsarcasmのほうが適語である気がします。

 一方、ironyやironical を「皮肉」という訳語では処理しきれない場合もずいぶんあります。たとえば、ヒッチコック監督の映画によくある「観客が知っている事実を主人公が知らないような状況」は、dramatic ironyと呼ばれます。「劇的な皮肉」ではなんのことかわからないので、これは「劇的アイロニー」と訳すのがふつうです。

 また、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、他者との問答においてみずから無知を装って議論を発展させたと言われていますが、この手法も英語ではironyと呼ばれ、通常は「アイロー」または「イロニー」と訳されます。そのほか、ironyに対する訳語としては、辞書にはあまり載っていませんが、自分の経験では「矛盾」「逆説」「反語」「風刺」などをあてるとぴったりする場合がかなりあります。

 コラム第6回でも紹介した『ストーリー』には、作劇術としてidealismとpessimism とironyの3つを比較する個所があります。物語の結末のタイプには3種類あり、idealism がup-ending(上昇型、つまりハッピーエンド)、pessimism がdown-ending(下降型、つまり悲しい結末)、ironyがup/down ending(上昇下降型、つまり両方の要素をはらんだ結末)であると書かれているのですが、最初のふたつは「楽観」「悲観」でよいとして、ironyの訳語はどうすればいいでしょうか? この場合、「皮肉」はもちろん、「アイロニー」でも意味が伝わりにくいと考え、わたしはことばを補って「二面性のアイロニー」と訳しました。この「二面性」こそがironyの本質であり、ironicalを「二面的」と訳してうまくいく場合もあります。

* 本コラムは『この英語、訳せない!』(ジャパンタイムズ出版刊)から抜粋して掲載しています。

 

越前敏弥(えちぜん としや):文芸翻訳者。1961年、石川県金沢市生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(KADOKAWA)、など多数。著書に『この英語、訳せない!』『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ出版)、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。

過去のコラムを読む:第1回  第2回  第3回  第4回  第5回  第6回  第7回  第8回  第10回  第11回  第12回

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