【連載コラム 第12回】
越前先生の「この英語、訳せない!」
ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。
train, car , carriage, bus ― 乗り物あれこれ
trainが出てくると反射的に「電車」と訳す人が多いですが、これは危険です。たとえばイギリスは、いまでも電化率があまり高くなく、地域によってはtrainを「汽車」や「機関車」と呼ぶべき場合が多くあります。最近訳したイギリスの作品でもtrainが出てきて、どれが適訳だろうかとしばらく読み進めていたら、数ページ先にlocomotiveということばが見え、機関車だとわかりました。そんなこともあって、trainを見たらとりあえず「列車」と訳しておくのが無難です。
carはもちろん自動車のことですが、おもにアメリカで、列車の車両という意味でも使われます。passenger carは客車、sleeping car は寝台車、dining carは食堂車、freight carは貨物車。そして、streetcarは路面電車です(イギリスではtram)。また、エレベーターのボックスのこともcarと呼ぶ場合があります。
carriageはもともとは四輪馬車のことですが、いまでは四輪の自動車一般、さらには乗り物一般を表す場合も少なくありません。また、イギリスでは列車の客車、アメリカではベビーカーを指すこともあります。
busはいまならバスですが、ひと昔前の作品なら乗合馬車。同じテーマのいくつかの短編が組み合わさった映画や小説をオムニバス作品と言いますが、これはbusの語源にあたるomnibus(乗合馬車、のちに乗合バス)から来ています。
以前、19世紀のヴィクトリア朝時代のイギリスを舞台とした『夜の真義を』を翻訳したとき、“home-going stream of carriages, carts, omnibuses and cabs”という個所がありました。carriageやomnibusだけでなく、cartもcabもこの時代には馬車のことなので(どちらも比較的軽装のもの)、わたしはここをまとめて「家路に就くあらゆる類の馬車」と訳しました。
越前敏弥先生の本