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    越前先生の「この英語、訳せない!」

【連載コラム 第20回】
越前先生の「この英語、訳せない!」

ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。

哲学的に肩をすくめる?

philosophyというのは、とても訳しづらいことばです。代表的な訳語である「哲学」は明治のはじめに作られたそうですが、そのころ翻訳に携わっていた人たちの苦労は大変なものだったと想像できます。何しろ、「社会」「自然」「自由」といったことばまでも、まったく新しく生み出したのですから。
学問の話をしている場合はたいがい「哲学」でよいのですが、philosophyはもっと広い意味を持つことばで、人生にまつわる真実を指してさまざまな場合に用いられます。Longman Dictionary of Contemporary Englishにある説明は“the attitude or set of ideas that guides the behaviour of a person or organization”。訳語としては、「信条」「方針」「考え方」「理論」などを文脈に応じてあてはめることになります。「~観」「~術」などもありうるでしょう。
形容詞philosophicalや副詞philosophicallyになると、さらに処理が厄介です。たとえば、このようなときはどんな訳語をあてればいいでしょうか。

・She shrugs philosophically.
・He was philosophical about his loss.

どちらもわたしの訳書からの例で、それぞれ「達観したように肩をすくめる」「自分の負けを冷静に受け止めている」と訳しました。
このほか、「寛容な(に)」「したり顔の(で)」「悟りきった(て)」「落ち着いた(て)」「動じない(ずに)」などの訳語が考えられるでしょう。
ところで、〈ハリー・ポッター〉シリーズの第1作の原題はHarry Potter and the Philosopher’s Stoneですが、アメリカ版は微妙にちがって、Harry Potter and the Sorcerer’s Stoneであることをご存じでしょうか。そのように変更された理由については諸説ありますが、何よりもまず、sorcerer(魔術師、魔法使い)のほうがphilosopher(哲学者)よりも子供向けの物語にふさわしいからでしょう。もちろん、日本語の訳題は『ハリー・ポッターと賢者の石』。「賢者」はphilosopherそのものであり、しかも古風で謎めいた感じがして、ファンタジー作品にぴったりのことばだと思います。

 

越前敏弥(えちぜん としや) :文芸翻訳者。1961年、石川県金沢市生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(KADOKAWA)、など多数。著書に『この英語、訳せない!』『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ出版)、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。

 

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