【連載コラム 第21回】
越前先生の「この英語、訳せない!」
ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。
facsimile ― ずっと昔からあったわけじゃない
最近は文書をだれかに送るとき、ファイルや画像をメールなどに添付することが多く、ファクシミリ(ファックス)をあまり使わなくなりました。若い人の一部は、なんのことだかわからないかもしれません。
ファクシミリが日常的に用いられるようになったのは1970年代か80年代からですが、facsimileという単語自体は、もともとは「複製」や「複写」、あるいは「そっくりのもの」という意味のことばで、何世紀も前からありました。simileは比喩の一種である「直喩」(likeなどをつけて「~ような」の形で類似を示す手法)のことですし、similar(似ている)からも連想できますね。
1960年代以前のことが書いてある文章にfacsimileが出てきたら、「ファクシミリ」のことではなく、なんらかの別の方法による模写や複製のことなので、要注意です。
ずっと前のことなのでうろ覚えですが、かつての〈刑事コロンボ〉で、コロンボがファクシミリの機器をはじめて見て驚くというシーンがありました。そこでコロンボは「こりゃすごい、なんて名前なんだ……え、ファクシミリ? ……そうか、たしかにファクシミリだ、そっくりだな」というような台詞を口にしたのですが、このときコロンボはfacsimileの本来の意味しか知らなかったからこそ、こんなことを言ったわけです。当時のわたしは、それを聞いても何がなんだかわかりませんでした。いまなら、吹替の翻訳をした人の大変な苦労が想像できるのですが。

越前敏弥(えちぜん としや): :文芸翻訳者。1961年、石川県金沢市生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(KADOKAWA)、など多数。著書に『この英語、訳せない!』『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ出版)、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。