【連載コラム 第16回】辛酸なめ子の英語寄り道、回り道
1秒に何字? 制約の中でセリフを作り上げる字幕・吹替翻訳のプロ
映画だけでなく配信サービスなど、観るべきコンテンツが飽和状態な今、映像作品をスムーズに観るために必要不可欠なのは、字幕や吹替です。
字幕翻訳、吹替翻訳のお仕事についてかねてから興味を持っていましたが、ご縁をいただきその道のプロにお話を伺いました。20年前に、フォアクロスを設立。翻訳やプロデュースの仕事をしている新井有美さんです。
もともと英語は得意だったそうですが、最初は番組制作などを手がける衛星放送の会社の字幕翻訳部門で働いていました。翻訳者の方と組んで、海外ドラマのセリフのブラッシュアップなどをしていたそうです。年を重ねるうちに、業界の男尊女卑の風潮も感じるようになり、もっと自由に働きたいと先に辞めた先輩と一緒に会社を立ち上ました。働いていた会社の社長も資金提供して、応援してくれたそうです。以来、もう20年も仕事が途絶えない状態に。コロナショックでは、劇場公開の映画の仕事がなくなってしまいましたが、かわりに配信の仕事が増えたそうです。
主な作品は、『アタック・ナンバーハーフ』『ドンキホーテ』『シャーロックホームズの冒険』『西遊記』『カンフーサッカー』、NHKのドキュメンタリー『ドキュランドへようこそ』など、翻訳やプロデュースで数百作品以上手がけています。
何気なく観ている字幕や吹替ですが、作る方は結構な苦労があるようです。
「字幕は1秒に4文字しか入らないので、長く話していても抽出しないとならないんです。でも、略しすぎると意味がわからなくなってしまう。よく言われる例ですが『目には目を 歯には歯を』を無理に縮めて『目には歯を』になってしまったら、全く何のことかわからないですよね。『やり返すぞ』とか『目には目を』だけにするとか、制限がある中でわかりやすいセリフを考えます」
4文字にするだけでも大変なのに、昨今は長文が読めない人も増えていて、1秒3文字にしたほうがいいのでは?という意見も出ているそうです。これ以上文字数を減らされると、何も表現できなくなってしまう、と新井さんは警鐘を鳴らします。また、タイパを重視して2倍速で配信を観る人もいて、その場合、セリフが断片的になってしまいます。
「ファスト映画の倍速用の字幕があったらいいのかな。でもうちがそんなの作ったら、映画配給会社から仕事もらえなくなってしまいますね」
映画を観る時くらいは、現実を忘れ、等倍でその世界に浸ってほしいところです……。いずれにせよ、語彙力やセンス、作品に合わせたボキャブラリーや表現など、様々な知識が必要な分野なので、AIには完全に任せられません。
吹替の場合も、手間ひまをかけてセリフを考案しているそうです。
「吹替にはリップシンクというルールがありまして、口の動きと合うようにセリフを考えないとなりません。もちろん意味も通るようにしています。アニメも合うように作っているんですけど、たまに『1秒の何十分の1の単位でズレています』と細かいご指摘をいただくことも……」
それは英語と日本語と言語が違っているのに、口の動きがフィットするようにしなければならないということでしょうか。素人からするとかなり無理難題な気が。試しにアマゾンプライムで吹替の映画を観てみたら、本当にセリフの秒数がぴったりで、口の動きも違和感ないです。
「海外のできあがっている映像に対して日本語のセリフをつけるので、そちらに合わせるしかない。口語文で掛け合いが激しいケースだと、かなり意訳的にならざるを得なかったりしますね。厳しいクライアントだと、文末の口の形、つまり母音を合わせるように、と指示される場合もあります」
口の動きやセリフの長さを合わせるため、類語辞典(電子辞書やネット)を活用し、意味が同じになる言葉を探し続けるそうです。せっかくフィットしたセリフを練っても、今、英語ができる人が増えているため、意訳しすぎると指摘されることも。
「昔は某大御所の方のように飛躍した内容のセリフでも伝われば問題なかったんです。映画館でセリフはそのまま流れ去っていくので。でも、今は配信で、巻き戻したり止めたりしながら英語学習で観ている方も多い。すると、英語のセリフと違うとか、レビューに書かれてしまいます。便利になるのもよしあしですね。同じ翻訳でも、映画館、DVD、配信などで広範囲に使われるので、どこをターゲットにするか悩むところです」
セリフ一つ一つが塾考されているからこそ、スムーズに作品を観ることができるのでありがたいです。YouTubeの自動翻訳も便利ですが、切り替わりが早くて全文読み切れません。
ところで作品を出す先が増えた分、報酬も増えるのでしょうか……。
「最初にご相談されて、配信も映画も込みで、と言われることも多く、その場合は配信先が増えても報告が来ることはないです。最初に日本国内の放送のみ、ということで契約した場合は、配信で使われるとその都度使用料をいただく場合もあります。印税でもないので、作品か大ヒットしたからといってバックがあるわけではないです。でも、ヒットするとお声がけいただく機会が増えますね」
今は配信になるのも普通なので、当初から全部込みになっているのかもしれません。配信ドラマは話数も多いですが、その場合何人かで分業になる場合が多いそうです。
「理想的な作り方でいうと奇数話と偶数話、二人の翻訳者さんで回していくやり方でしょうか。三人で順番に訳す場合もあります。一人でできるのがベストではあるんですけど、誤訳や取り違えを考えると二人のチームでやるのが一般的ですね」
翻訳者同士、キャラクターの言い回しなどを最初にすり合わせするのも重要だそうです。セリフにはその人のセンスが現れるので、一人が死語を使っていて、一人が今っぽいセリフだったら違和感が生まれてしまいます。
「プロデューサーとしては、現代のスラングが多いドラマは、若い翻訳者さんに依頼したり、時代ものはベテランの方にお願いしたりしていますね」
ちなみに新井さんが得意なジャンルは、中国韓国台湾などアジアのドラマの歴史ものだそうです。最近では、ニカラグアの長編映画『マリア 怒りの娘』のプロデュースが印象的な仕事だったとか。監督や映画製作会社と、観賞者をつなぐ重要なお仕事です。翻訳の仕事に興味を持つ人も多く、会社で求人すると100人以上の応募が来ることも。
「ただ志望動機を聞くと、結構な割合で『映画を観てまちがっているところが気になったので、自分だったらもっとうまく訳せると思いました』と言う人が多いです」
自信があるのはいいことですが……さきほど伺った、セリフの長さや口の動きを合わせる行程を思うと、直訳してまちがっている、と決めるのは早計な気もします。
「そういう方は、あまり採用しないですかね。なんとなく先が見える気がして……。うちの作品に対して批評する応募者もいらっしゃいますが、納期や予算やさまざまな制約がある上でのベストを尽くした結果なので……。あまり理想を追い求める方だと仕事としてやっていくのは難しいかな、と思いますね」
自分の価値感にこだわりすぎて、新井さんがここを少し直してほしいと言っても、絶対にゆずらない人もいるそうです。
「あまり自分の見方にこだわる方だと、ぴったりハマる作品以外は難しいですね」
臨機応変に、柔軟な思考が求められる現場のようです。
「翻訳はコミュニケーションツールの一つのような気がしていて、すごく英語ができるという方よりは、伝えようということを考えていて、違う視点で物事を考えられる方や、いろいろな意見を取り入れられる方が向いていると思います。そして語彙が豊富な方が良いですね」
こうして会話していると、一言一言を選びながらわかりやすく話されていて、翻訳の仕事で脳の言語中枢が鍛えられていらっしゃると感じました。
「作品が世に出るときは楽しみですね」とおっしゃる新井さん。一つの作品に時間をかけて取り組んでいると、どんなB級作品でも好きになるそうです。
「翻訳すると深掘りして何回も観るので、おもしろくなっちゃう』
もし観た映画がいまいちだったとしても、世に出るのにかかった労力や、関わった人の作品への愛情を考えると、心が温まります。決して無駄な時間ではありません。どんな作品にも存在する意義がある、そんなポジティブな思いに至りました。
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