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【連載コラム 第17回】辛酸なめ子の英語寄り道、回り道

放送通訳者のリアル

 「勇気と希望、決意があればこのように繁栄する未来を築くことが示されました」

 赤じゅうたんの上でスピーチするペロシ米下院議長。知的な日本語の声が同時通訳しています。声の主は、寺田容子さん。東京外国語大学を卒業してからアイ・エス・エス・インスティテュート放送通訳科で学び、放送通訳者として働きはじめ、現在はNHK、CNN、BBC、その他、各テレビ局で同時通訳や時差通訳をされています。一般人からは想像がつかない言語能力の高さですが、今回、寺田さんに同時通訳のお仕事についてお話を伺います。

 「24歳から始めて、クビにならずに今まで続いています」と謙虚な寺田さん。放送の声は自信と安定感がみなぎっていましたが、仕事モードじゃない時は奥ゆかしい知的な女性,という雰囲気です。

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「アイ・エス・エスで一年ほど学びました。放送通訳のクラスに入って、何も予備知識がないまま授業に出てみたら、テレビの通訳だってわかって、あらおもしろいと思ったのがきっかけです。大学院に行こうと思っていたのを辞めて、そのまま仕事の方に……」

 テレビの通訳の仕事に出会い、すぐに運命を感じた寺田さん。行動が迅速です。アメリカの大学院はまだ授業料を払い込んでいなかったとのことで良かったです。

「それから放送通訳の道に入りました。最初はメモをとってまとめて訳す時差通訳からです。4年くらい経って同時通訳の仕事ができるようになって、最初はスポーツニュースを担当していました。でも2001年に9/11が発生してスポーツニュースどころではなくなってしまったんです。これはいかんと思って報道を勉強しました」

 と、臨機応変に世の中の流れに合わせてスキルアップ。長く仕事を続ける秘けつかもしれません。同時通訳というと、現地の会見場などにも行かれそうな印象ですが……

「それがないんです。家とテレビ局の往復です。アイラブインドアなんです」と、寺田さんの生活スタイルにもマッチしていたようです。

 ただ、大きな事件が起きた時は急に呼び出されることも……。

「海外で大きなできごとがあったり、急に要人の来日が決まったりすると呼び出されることがあります。前の日に連絡があれば良い方で、一番急だったのは朝の8時に電話が来て『10時に始まります』とか。日頃やっているニュースの延長なので対応可能なんですけど、まあ身支度の時間がほしいですよね」

 ワイプに出ずに声だけ出演なら、メイクや服は間に合わせでもなんとかなるかもしれません。ペロシ米下院議長のスピーチや、水原一平氏の事件の時も、急な依頼だったそうです。

「水原一平元通訳が罪状認否で出てきた時に呼ばれましたが、何も語らなかったです。『ノーコメント』それだけ訳して伝えました」

 ちなみに呼び出されて、対象人物がとくに何も話さなかった場合でも、ちゃんと謝礼は出るそうで良かったです。同じ通訳という業種ですが、水原氏の仕事ぶりについて寺田さんに伺うと……

「優れていると思います。典型的ではないですが、訓練したのではなく叩き上げの通訳という印象です。ゴリゴリマッチョな選手たちの中にいて自然でいられるのもすごいです」と評価が高いようです。後任は、野球のことを熟知している経験者が良いのでは?という貴重なご意見もいただきました。

 自然体といえば、寺田さんも緊張感漂うニュースの現場で、落ち着いて通訳されているのがさすがプロです。

「とくにストレスもプレッシャーもなく仕事しています。小さなスタジオでヘッドホンして、画面から流れてくることをボソボソ話しているだけですが……。もちろん、あとからもっとこう訳せば良かった、ということもあります」

 ちなみに突発的な事件の場合は、情報がまだ少ないので「山火事が発生した」「誰かが撃たれた」とずっと繰り返したり、英語がシンプルになる傾向にある、というのも言われてみて納得です。

 寺田さんはテレビの通訳には向いている反面、会議の通訳は難しいと感じた、というのは意外でした。

「前に一般の会議の通訳をしたんですけど、緊張でごはん食べられなくて。向いてないと実感しました」

 テレビの方が大勢の人に声が伝搬しますが、小さいスタジオにいるときは、大勢の視聴者を意識しないで臨めるのかもしれません。

 同時通訳は日本語のボキャブラリーも必要ですが、普段からニュース用語はインプットされているのでしょうか。

「いろんな資料や記事を読んだり、やってみて何だこれって調べながら訳すこともあります」

 過去に通訳した人だと、話し方のクセも知っているので訳しやすい、と寺田さんはおっしゃいます。

「ペロシさんの英語も、これまで何度か聞いてきたので話し方を知ってる。ここはちょっと待ってみよう、というタイミングがわかりますね」

 それが度重なると、大谷翔平と水原一平のように、脳がつながったみたいな状態で同時通訳する、ということになるのでしょうか。ペロシさんとか、VIPの方の同時通訳をすると、自分の気力や志気も高まりそうです。カルロス・ゴーンの国外逃亡後の会見も同時通訳されたそうですが、「ゴーンには感情移入したくない」という意見には共感します。

 ニュースによっては、複数言語の通訳をする場合、スタジオに何人もの同時通訳の人が入ってスタンバイすることもあるそうです。

「スタジオでは、直前まで皆勝手なことを喋ってますね。『あっトランプ出てきた』、とか。北朝鮮の総書記が出てきた時は『専用列車にはシャワーやカラオケがついてる』とか解説してくれる通訳さんもいて楽しかったです」

 楽しく充実したお仕事をしている寺田さんにとって、唯一の懸念はAIの台頭。

「英語の音声を文章にしてくれるアプリとかが出ているのを見ると、ああ、そろそろかなって思います。人間の売りをなんとか見つけ出したいと思っています」

 AIがニュースを読み上げる番組もたまにありますが、周りの人に聞いても、違和感がある、とか、ちょっと不気味、という意見が多いです。寺田さんの同時通訳の声に漂う安心感や、楽しく仕事をやっているポジティブ感は、AIには出せません。大変なニュースが起こった時こそ、生身の人間の声に救いを感じたいです。

 ◆アイ・エス・エス・インスティテュートについて詳しく知りたい方はこちら

辛酸なめ子漫画家・コラムニスト。1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。精神世界、開運から皇室、アイドル観察、海外セレブまで幅広いテーマを対象にエッセイと挿絵で人気を得る。著書に『辛酸なめ子の現代社会学』(幻冬舎文庫)、『スピリチュアル系のトリセツ』(平凡社)、『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』『新・人間関係のルール』(光文社新書)、『女子校礼讃』『辛酸なめ子の独断!流行大全』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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