【連載コラム 第24回】辛酸なめ子の英語寄り道、回り道
最先端を走る会議通訳者は体力勝負
世の中の最先端の情報を、誰よりも早く知ることになるのが、会議通訳者という職種なのかもしれません。ベテランの会議通訳者で、ISS英語通訳者養成コース顧問で、一番上のクラスを教えていらっしゃる日野峰子先生にお話を伺いました。ベテランで上級クラスの先生といっても、堅苦しい雰囲気はなく、柔軟でファッショナブルな印象の日野先生。でも、プロフィールを拝見すると、アイ・エス・エス・インスティテュート東京校同時通訳科に学び、卒業と同時に会議通訳デビューされ、日経フォーラム世界経営者会議、ライフサイエンス・セミナー、マイクロプロセッサー・フォーラム、世界医師総会・理事会宇宙ステーション利用計画会議などの重要な国際会議で同時通訳されているというすごい経歴が。

最初はどのようにお仕事を始められたのでしょう。
「90年代は、黒電話から携帯電話に移行していく時代でした。通信会社が課金のシステムを作るときに、アメリカの技術者を呼んできて協力してもらう、という長期のプロジェクトがたくさんあったんです。そんなとき、若手の通訳者が10人くらい集められて通訳するというのが登竜門みたいになっていましたね。そこで鍛えられて上手になれば会議通訳者として育ってデビューする、というルートがありました。そのまま社内通訳者になる人もいましたが、他の分野に触れたい人は、私のようにフリーの道を目指すことになります」
大手通信会社の黎明期、きっとかなり高額ギャラだったのでは?と推察します。今はそんな景気の良い話は少なさそうですが……。それにしても日野先生のプロィールを拝見すると、会議のジャンルが多岐に渡っていて、それぞれの分野を予習するのも大変なのでは?と思います。そんな話になったら、ISSのスタッフさんは「先生はネイルに凝っていて、ネイルを乾かしながら資料を読むこともあるそうですよ」と教えてくれました。時短にもなって、気分も上がる良い習慣です。
「通訳者は毎日会う人が違いますが、服は戦闘服みたいなもので自分の気持ちを上げるためにもコーディネートには気合いを入れています。実は以前、同じものを一週間に2、3回着ていたら失敗したことがあって。月曜日のある会社の記者会見と、水曜日の別の会社の記者会見、同じ業界だったので記者さんの顔ぶれがほとんど同じだったんです。同じ服だと気付かれてしまったかもしれません」と、おしゃれな日野先生ならではのエピソードも。
地味なスーツなら同じ服でもまぎらわせられますが、日野先生のように華やかな服を着ていたら同じ服だと気付かれる可能性も……。ところで気になるのが会議通訳者さんがどんな場所でお仕事しているか、ということです。会議場に別室があるのでしょうか。
「通訳ブースにはイヤホンやマイクなど必要なコンソールが設置されています。そのブースが、ときどきとんでもない場所に存在している。ものすごく曲がりくねった、裏動線を進んで階段をいくつも上がった先にあったことも。方向音痴の通訳者はたどり着けないですね。国際規格っていうので決まっていて、通訳ブースは会議場の正面をまっすぐ見下ろす場所に設置しないといけないんです。守っていないところもたまにありますが……」
毎回どんな場所にブースがあるかわからないなど、メンタル的にも体力的にも鍛えられそうです。日野先生は、「通訳者は結構体力勝負のところがあって、ほぼほぼ肉体労働者と言えるかもしれません」とおっしゃいます。電子辞書やスマホが普及する前は、重い辞書を何冊も持って現場に行っていたとか。
会議の準備では資料を読み込むだけでなく、あらかじめ単語を覚える必要もあるそうです。
「通訳者は現場だけって思われがちなんですけど、4時間の会議の3、4倍の時間をかけて準備するんです。専門用語を調べたり、単語帳を作ったり。通訳者は皆単語帳作りますね」
IT系や環境系のセミナーだと、ただでさえ難しい単語が出てきそうです。「パーパス」とか意識高い系の会社で出てきがちですが……。そう言うと、日野先生は、
「最近は『パーパス経営』という言葉はよく使われるようになりました。短期的に株を上げたいとなると、利益ばかりを追求するブラック企業ばかりになってしまう。それではいけないので『スチュワードシップ・コード』といって、投資家に何を求めるか『ガバナンスコード』を定めるのを推進する流れあります。大企業なんかは、皆が善人になろうとしてSDGsを進めたり、パーパスを中心にすえて企業経営を行なったりしています。『ミッションバリュー』も当たり前ですね」と、レベルが高すぎるワードを連発。
「パーパス経営」 自社の社会的な存在意義を明文化し、それに従って会社を経営すること
「スチュワードシップ・コード」機関投資家が「責任ある機関投資家」であるために有用と考えられる諸原則や指針
「ガバナンスコード」 組織を統治する指針や行動原則
「ミッションバリュー」 企業が社会で実現したいこと
カタカナ用語ですが、これを覚えておけばいつかビジネスの世界で役に立つかもしれません。また、デキるビジネスマンを演出できそうです。こういった単語を会議ごとに次々覚えていたら脳の容量がいっぱいになってしまいそうですが……。
「通訳者はいったん忘れてもいいことは忘れて、次の新しいことをインプットしなければなりません。常に最先端を走っている感じです。企業の会議で聞いた話を参考に投資をしたらインサイダー取引になってしまうので、個別株は買えないですね」
日野さんが今、楽しみにしている会議のお仕事は何か伺うと……
「世界の各国の医師会が集まった会議が毎年世界各地で開催されていて、いろいろなところに行けるのが楽しいです。ヨーロッパの特許法をテーマにした会議も海外で行なわれます。オフタイムを作って周辺を観光したいですね」
グローバルに活躍する憧れの通訳者ライフを体現されていらっしゃいます。最後に、将来に希望を持てる言葉をいただきました。
「通訳者の仕事は機械に取って代わられてなくなるだろうって7、8年前から言われていますが、全然減らないんです。機械翻訳は言われたことを全て出力するので無駄な部分も入っていて、漢字が間違っていてあとから修正されるなど、読むのが大変なところがあります。人間であればこれは冗長だから省こうって判断したり、最初から正しい漢字に変換したりできますが、機械にはそれができないんですよね。AIは水も電力もすごく使うし。やっぱり最終的に人間でっていうところに戻るんじゃないでしょうか」
SDGsや「パーパス経営」を重視している会社こそ、環境のことを考えてこれからも人間の通訳者に依頼し続けそうです。「パーパス」の高まりとともに仕事も増えていく……そんなポジティブな未来を予感しました。
