【連載コラム 第23回】
越前先生の「この英語、訳せない!」
ビシッと決まる訳語の裏には翻訳家の人知れぬ苦労があります。
名翻訳家の仕事と思考のプロセスを追体験できる、珠玉の翻訳エッセイ。
evening 夕方か、夜か
eveningというのは、夕方でしょうか、夜でしょうか。Oxford English Dictionaryには、“the close of day, esp. the time from about 6 p.m., or sunset if earlier, to bedtime; the period between afternoon and night” とあります。or sunset if earlierのところが少々わかりにくいのですが、この意味は「午後6時ごろ(日没がそれより早ければ日没時)から就寝時までのあいだ」「午後と夜(night)のあいだ」ということですね。
感覚は人それぞれですが、仮に「晩」ということばが、多くの国語辞典にあるように「夕暮れから夜のはじめごろ」ぐらいを表すとすると、eveningには「晩」が近いと言えるでしょう。ただし、前後関係から、周囲が明るいのであれば「夕方」のほうがいいでしょうし、真っ暗なら「夜」でもおかしくないはずです。
むしろ、気をつけるべきなのは日没時刻です。ロンドンなら、夏は午後9時ごろまで明るいですし、冬は午後4時ごろに日が沈みます。それより北の地域なら、夏の日没はもっと遅く、冬はもっと早いのがふつうです。たとえば、夜10時なのにあたりが薄暗いような状態を「夕方」と呼ぶべきなのかどうかは、なんとも言えません。違和感があるときは、「夕方」「晩」「夜」などの語にこだわらず、「あたりが薄暗いなか」など、事実どおりで自然に感じられる言いまわしにするのもひとつの手です。
最後にひとつ。これは近年ではあまり見られない例だと思いますが、アメリカの南部やイギリスの一部では、eveningを「正午から日没まで」、つまりafternoonとほぼ同じ意味で使う場合があるようです。南部を舞台としたマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』には、ポリー伯母さんがトムのことを“Heʼll play hookey this evening.”と評する個所があります。play hookey(またはhooky)は、「学校をさぼる」という意味なので、このeveningは「午後」でないと筋が通りません。この連載の第8回でも紹介した柴田元幸さんの訳書では、「今日もまたどうせあの子は学校をサボるだろう」と訳されています。

越前敏弥(えちぜん としや): :文芸翻訳者。1961年、石川県金沢市生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『オリジン』『ダ・ヴィンチ・コード』『Yの悲劇』(KADOKAWA)、など多数。著書に『この英語、訳せない!』『「英語が読める」の9割は誤読』(ジャパンタイムズ出版)、『日本人なら必ず誤訳する英文・決定版』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。